「清水焼、京の都が育んだ繊細な美
〜京焼・清水焼の優雅な美〜 歴史編」
京焼・清水焼の歴史は、古代から脈々と受け継がれてきた陶磁器の伝統と革新の融合の軌跡です。その起源は明確ではありませんが、平安時代以前から屋根瓦などの焼き物作りが行われ、奈良時代には清閑寺の地に窯が築かれ、土器の製造が行われていました。
「京焼」の名が文献に初めて登場するのは、1605年の神谷宗湛の日記であり、江戸時代初期には粟田口を中心とする東山山麓などで陶窯が築かれ、粟田口焼、八坂焼、清水焼などの名が確認されています。
そして江戸時代初期から東山山麓を中心に広がった焼き物を「京焼」、清水寺に向かう五条坂周辺で作られたものを「清水焼」として呼ばれるようになりました。その後「清水焼」は時代とともに観光地としての発展と生産量の増加によって京焼を代表する存在と認識(京焼=清水焼)されるようになりました。
さらに1977年、京都の焼き物全体を包括する名称として「京焼・清水焼」が伝統的工芸品に指定され、現在の呼称が定着しました。
写真左:「陶器神社」として知られている若宮八幡宮
写真右:若宮八幡宮前にある「清水焼発祥之地 五条坂」記念碑
京焼の発展において特筆すべきは、江戸時代中期に活躍した野々村仁清(にんせい)と尾形乾山(けんざん)の存在です。
仁清は、従来の写しもの中心の茶器製造から、華やかで雅やかな色絵陶器の制作へと京焼の流れを変えました。この技術は多くの窯に影響を与え、京焼の発展を支えました。なかでも江戸初期から中期にかけてつくられた京焼・清水焼は、後に「古清水」と呼ばれています。
一方で、尾形乾山は、京焼の芸術性をさらに押し広げた人物であり、兄である尾形光琳(こうりん)と共に独創的な作品を生み出しました。このように、この時期には仁清と乾山を中心に京焼の黄金期が到来し、その後も多くの陶工がその技法を受け継ぎました。
写真:「色絵月梅図茶壺(いろえげつばいずちゃつぼ)」 野々村仁清作
*出典 ColBase
そして、江戸後期に入ると、京焼は第二の隆盛期を迎えました。奥田頴川(えいせん)が伊万里の技術を取り入れ、京都で本格的な磁器の焼成を始めたことで、新たな発展を遂げます。その後、彼の門下からは青木木米(あおきもくべい)や仁阿弥道八(にんあみどうはち)などの名工が輩出され、彼らの手によって京焼はさらに洗練されたものとなりました。
写真:「色絵飛鳳文隅切膳(いろえひほうもんすみきりぜん)」 奥田頴川作
*出典 ColBase
写真:「色絵桜楓文木瓜形鉢(いろえおうふうもんもっこうがたはち)」 仁阿弥道八作
*出典 ColBase
明治時代になると、京都の陶磁器業界は伝統を守りつつも、西洋の技術を積極的に取り入れ、近代化を図るようになりました。例えば、ウィーン万国博覧会への出品や、ドイツ人技師ワグネルの指導により、新たな釉薬技術が導入され、京焼は一層多様な表現を可能にしました。
シカゴ・コロンブス世界博覧会 出品作
写真左:「色絵金襴手鳳凰文飾壺(いろえきんらんでほうおうもんかざりつぼ)」 七代錦光山宗兵衛作
写真中央:「色絵金襴手花鳥文大瓶(いろえきんらんでかちょうもんたいへい) 九代帯山与兵衛作
写真右:「白磁蝶牡丹浮文大瓶(はくじちょうぼたんうきもんたいへい) 三代清風与平作
*出典 ColBase
こうして京焼・清水焼は、時代ごとの技術革新や名工たちの創意工夫によって発展し続け、現在に至るまで日本の陶磁器文化の中心的存在であり続けています。そして今日も、多くの陶工たちが伝統を受け継ぎながら、新たな意匠を追求し、手仕事の温かみと芸術性を兼ね備えた作品を生み出しています。
直径 20.5cm
20,000円(税別・2025年4月25日 現在の価格)
清水焼の優しい雰囲気を残しつつ、1枚あればその場がパッと華やぐような美しさ。
実用はもちろん飾ってもステキな器です。
直径 10cm×高さ7cm 190cc
5,600円(税別・2025年4月25日 現在の価格)
三島手と花唐草にゴールドが入って、とても華やかな雰囲気です。
茶こしの役割をする溝があり、茶こしなしでもご使用いただけます。
(黒・大) 直径 7.5cm×高さ 9cm
(赤・小) 直径 7.5cm×高さ 8.7cm
30,000円(税別・2025年4月25日現在の価格)
繊細で美しい桜が描かれた、華やかなペア湯呑。
内側はお茶がキレイに見えるようになっています。
持ちやすい形状で、飲みやすいようにフチが少し反っています。
贈り物や記念の品としてもオススメです。
直径 8cm×高さ 3.5cm
17,000円(税別・2025年4月25日現在の価格)
小さな盃の中に細かく描かれた吉祥文様がいっぱい。
外は染付のみ、内は華やかになっています。
My盃や贈り物にもオススメ。
職人技の光る盃です。
食器のみつはた最新情報は、下記のサイトにて発信中です
食器のみつはた
086-425-5511
営業時間:午前10時~午後6時
「波佐見焼、文化と技術が織りなす日本の誇り
~職人の技が生み出す、波佐見焼の精緻な美~ 歴史編」
写真:*波佐見町
「日本焼き物名産地巡り」第2回となる今回は「波佐見焼(はさみやき)」を取り上げます。
波佐見焼は、長崎県波佐見町で生まれ、400年以上の歴史を誇る日本を代表する陶磁器の一つです。長い歴史を通じて、多くの技術革新と美しいデザインが生まれ、日本文化の一翼を担ってきました。特に波佐見焼の精緻な美は、職人たちの手仕事によって形作られ、今も世界中で愛されています。
波佐見焼の起源は、16世紀末に遡ります。波佐見焼の黎明期には陶器のみが生産されていましたが、1610~1620年代頃になると磁器の生産に成功し、波佐見町は陶磁器の生産地として名を知られるようになりました。磁器の生産には文禄・慶長の役の折に連れ帰った朝鮮人陶工たちが関わったとされ、彼らが伝えた朝鮮王朝の陶磁器技術の白磁や染付(青花)などの技法が取り入れらました。
写真:畑ノ原窯跡、文禄・慶長の役の折に連れ帰った朝鮮人陶工たちが築いた窯の一つ
江戸時代前期に入ると、波佐見焼は広く庶民の間にも普及し、日常的に使われる食器として非常に人気を集めました。特に「くらわんか碗」などの日常使いの器が広く愛され、丈夫な波佐見焼の特徴が庶民文化と融合しました。くらわんか碗は、そのシンプルでありながら美しいデザインで、江戸時代の庶民生活を彩った器として象徴的な存在となりました。
写真左:庶民向けの器として大量生産されたくらわんか碗(染付雪輪草花文碗)
写真右:醤油や酒を海外に輸出するために19世紀前半から波佐見で生産されたコンプラ瓶、ロシアの文豪トルストイも愛用していたとされる *波佐見町歴史文化交流館所蔵
20世紀に入ると、波佐見焼はさらに現代的なデザインや技術を取り入れ、海外市場にも進出していきました。その後も第2次世界大戦などの苦難の時代を乗り越え、高度成長時代突入とともに日用食器の需要は高まり、波佐見焼は再び飛躍的な発展をとげていくことになります。
写真:戦後の大ヒット商品のひとつ、染付若竹文蓋付碗 *波佐見町歴史文化交流館所蔵
現在の波佐見焼では、伝統的な技法を守りつつも、新しいデザインや製法を取り入れることにより、より多様な製品が生まれています。現代の職人たちは、波佐見焼の美しさと実用性を両立させながら、新たな価値を生み出し続けています。
写真:多様なデザインで人々の暮らしを彩る現代の波佐見焼 *波佐見町
茶付 「木蓮」(勲山窯)
(大)直径11.5cm×高さ7cm
(小)直径11cm×高さ6.2cm
各1,400円(税別・2025年3月19日現在の価格)
電子レンジで使えます。
・2サイズあるので夫婦茶碗としてプレゼントにも。
・木蓮は金運を高める効果があるとされています。(金運up)
・粉引の優しい色合いにパッと花ひらく木蓮がとても素敵で毎日の食事タイムを彩ります。
ワイングラス 「桔梗唐草」(龍庵窯)
1,800円(税別・2025年3月19日現在の価格)
直径7.6㎝×高さ9.8㎝ 150cc
金を使用しているため電子レンジ不可
・三十有余年色褪せぬロングセラー商品。
・使っても飾っても美しい。
・桔梗は木偏を取ると「吉が更に」と読める事から縁起のいい花です。
・唐草は生命力の強いつるが伸びて絡みあう文様で長寿や子孫繁栄を願う思いが込められています。
内外十草 4寸皿
1,800円(税別・2025年3月19日現在の価格)
直径13㎝の小さめ取皿。
人気のシリーズで、普段づかいにオススメの飽きのこない器です。
縁に少し立ち上がりがあるので、持ちやすくなっています。
白山陶器
G型しょうゆさし(大・小)
(大)160ml 2,000円(税別・2025年3月19日現在の価格)
(小) 80ml 1,800円(税別・2025年3月19日現在の価格)
1958年から生産しているロングセラー商品
1961年グッドデザイン賞受賞
握りやすく、安定のよい形で、たれにくい注ぎ口のつくりになっています。
和・洋どちらの食卓にも合います。
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食器のみつはた
086-425-5511
営業時間:午前10時~午後6時
「有田焼、日本の陶磁器の先駆者 〜色絵磁器の美と世界への挑戦〜歴史編」
日本の焼き物文化は、長い歴史と地域ごとの個性によって育まれてきました。「日本焼き物名産地巡り」と題したこの連載では、日本各地の代表的な焼き物の魅力を掘り下げ、その歴史や特徴を紹介していきます。
第1回となる今回は、日本で初めて磁器が誕生した地、佐賀県の「有田焼」を取り上げます。有田焼は17世紀初頭に始まり、やがて国内外に広まり、日本を代表する磁器として発展しました。鮮やかな色絵や精緻な技法を特徴とし、江戸時代には海外への輸出も盛んに行われるようになりました。
有田焼の歴史を振り返ることで、日本の陶磁器文化がどのように発展してきたのかを探っていきます。
(写真:「やきものの神様」として親しまれている陶山神社の有田焼の大鳥居)
有田焼の歴史は、17世紀初頭、朝鮮半島から渡った陶工・李参平(りさんぺい)が有田の地で磁器の原料となる陶石(磁石)を発見したことから始まります。これにより、日本で初めて磁器の生産が可能になり、やがて「伊万里焼」として全国に広まりました。「伊万里」という名は、当時、有田焼が主に伊万里港から出荷されていたことに由来します。
(写真:李参平が陶石を発見した泉山磁石場)
最初期の有田焼は「初期伊万里」と呼ばれる青と白の染付磁器が主流でした。しかし、1640年代になると、中国の景徳鎮に学んだ色絵技法が取り入れられ、鮮やかな赤や緑、金彩を施した「色絵磁器」が誕生しました。この時期に生まれた「柿右衛門様式」は、白磁の美しさを活かした繊細な絵付けが特徴で、現在も有田焼を代表するスタイルの一つです。
17世紀後半になると、ヨーロッパで磁器の需要が急増し、有田焼は「オランダ東インド会社」を通じて輸出されました。特にフランスやドイツの宮廷では、有田焼は芸術品として珍重され、マイセンやセーヴルなどのヨーロッパの磁器にも影響を与えました。この時期に誕生した「古伊万里様式」には、輸出向けにデザインされた豪華な作品も多く見られます。
明治時代に入ると、産業としての有田焼が発展し、実用性を重視した食器類が国内外で広まります。一方で、芸術的価値の高い作品も作られ続け、近代以降の作家たちは伝統を守りつつも新たな表現を追求してきました。
現在の有田焼は、伝統技術を受け継ぎながらも、現代的なデザインや海外ブランドとのコラボレーションによって、新たな可能性を切り開いています。有田焼の400年以上にわたる歴史は、日本の陶磁器文化の発展とともに歩んできた証であり、今も世界中でその美しさが称賛され続けています。
<今回ご紹介する「有田焼」のオススメ商品 >
福泉窯
※染付間取絵 なぶり鉢
7,800円(税別・2025年2月20日現在の価格)
直径18.5cm程の深盛鉢。
◇ 磁器でできており、少し厚みのあるしっかりとした持ち心地です。
◇ 煮物・サラダなどの盛り付け鉢にオススメ。
◇ 普段づかいに使いやすいサイズです。
華山萬右衛門窯
※錦割花 角小鉢5客揃
55,000円(税別・2025年2月20日現在の価格)
9.5cm角の小鉢5客セット。
◇ 磁器でできており、厚口で丈夫。
◇ 和え物、酢物などの盛り付け小鉢にオススメ。
◇ ワンランク上の器で、至福の食卓をどうぞ。
「食器のみつはた」はJR倉敷駅の駅前商店街に店舗を構える老舗の食器専門店です。
一般的な家庭用の器はもちろん、業務用食器、厨房用品、インテリアや雑貨など多くのメーカーや産地との取引から、食器専門店としてまた倉敷美観地区への旅のお土産品店として幅広い品揃えをしています。
食器のみつはた最新情報は、下記のサイトにて発信中です
食器のみつはた
086-425-5511
営業時間:午前10時~午後6時
食器のことなら当店へ
JR倉敷駅前の商店街にある
和洋食器の専門店「みつはた」です
遅ればせながらあけましておめでとうございます
昨年中は色々ごひいき頂きありがとうございました
今年も3日より営業しております。
ウインドウにはお雛様がズラリと並んでいます
みつはたのウインドウはもう春です
皆様のお越しを心よりお待ち致しております。
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